それから2012年、半世紀以上続いた「外国人登録法」は廃止され、新たな在留管理システムが制定されました。これによって、それまで「外国人」が一律に持たされていた「外国人登録証明書」は、旧植民地出身者は「特別永住者証明書」に変わり、その他の外国籍者は「在留カード」に変わりました。そして、住民基調台帳には「外国人」を「日本人」と共に記載することによって日本社会の生活者として位置付ける一方で、オーバーステイの「外国人」の摘発を進める治安管理が強化されていくことになりました。東京オリンピック2020を口実に、「不法滞在者」は「犯罪」の温床だと位置付け、入管や警察が取り締まりを強化していったことは、在日コリアンに対して治安維持の観点から行った歴史に重なります。相対的なターゲットが、オールドカマーである旧植民地出身者からニューカマーの非正規移民・難民へと移り変わったのです。「外国人」であることは罪ではないのにもかかわらず、入管によって「外国人」という存在であることが「犯罪」化されています。

同時に、この際懸念されるのは、実際に何らかの刑罰の対象となり刑務所に服役経験のある「外国人」のことです。どの人も犯罪を犯して裁判で公平に裁かれたのであれば、言い渡された刑期を納めることは必要です。しかし、「外国人」の場合軽微な罪だったとしても在留資格を剥奪されたり、服役中に失ってしまうことがあります。(そもそも、刑期が罪に見合う期間なのか、「外国人」だからという理由で判決内容に差別が起きていないかという点は問われるべき点です。)出所後、日本国籍の人ならば国外追放の恐れやその先に収容される場所はありませんが、「外国人」という理由で入管に無期限収容され強制送還される恐れがあることは、レイシズムなのです。それは、特に、日本で生まれ育ったり、幼少期から日本で住んでいて他に帰る国がない人にとっては重くのしかかる差別です。「犯罪を犯したから」ということは「外国人」に何をしてもいい理由にはなりません。むしろ、「外国人」が刑罰にあたる罪を犯した際には、同時にその背景に潜むレイシズムの構造を紐解いていく責任が日本にはあります。
今回の入管法改悪案で、退去強制を拒んだ者に対して刑事罰が導入されることからもわかることですが、「犯罪」はむしろ入管や国家によっていくらでも恣意的に生み出せるものです。また、「正規の在留資格を失ってしまうのは外国人本人が法に違反したのだから仕方がない」「在留資格を失いたくないなら法に触れなければいい」「悪いことをしない良い外国人には関係がない」などの言説がありますが、そもそも入管や国が「外国人」の身体を「違反」「犯罪」化させていることを見極めなければなりません。国の機関である入管の「外国人」観の下に巷にも流布している、「外国人」を短絡的に「良い外国人」と「悪い外国人」に分ける考え方は非常に危険です。「犯罪」と在留資格はまた別の話であることを認識する必要があります。


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