日本の入国管理体制は、戦後在日朝鮮人を取り締まる目的から出発しています。
日本の植民地支配からは解放されたものの直後の朝鮮半島の混乱などによって、日本に生活を求めてやってくる朝鮮人が多くいました。主に「密航」と呼ばれたその移動を、「外国人」の「不法入国」として取り締まり強制送還するために、「外国人登録令」(1947年)が制定され、当時日本の「外国人」の約9割を占めていた在日朝鮮人は治安管理の対象となりました。その際に在日朝鮮人が多く収容されたのが、1950年に長崎県に設置された悪名高い「大村収容所」(現大村入国管理センター)でした。
「外国人登録令」によって日本国籍を有しつつも「一時的に外国人とみなす」という非常に矛盾する立場に立たされた朝鮮人は、大村収容所の前身である針尾入国者収容所をはじめとした収容所に収容されていました。その後1952年に在日朝鮮人・台湾人が正式に日本国籍を剥奪されてからは強制送還という形がとられましたが、韓国は受け入れを拒否、日本へ「逆送還」されることになり再び大村収容所に収容されるのでした。その他にも、日本に生活基盤のある在日朝鮮人も外国人登録を正式に済ませられなかったり、外国人登録証明書の更新手続きを行えなかった者が、外国人登録法「違反」とされ摘発されていきます。
このように、GHQ占領期の1945~1952年の間に、今の日本の入国管理体制と外国人管理制度の土台が出来上がっていったのでした。


You may also like

Back to Top